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…について何か書こうと思ったけど、
そもそもサッカーについて知らなすぎるし、
W杯の時期だけ登場する「にわかサッカーファン」なので、
コメントするのは辞めておこうと思う。

多分、コメントをするといっぱいボロが出るし。

しかし、サッカーを知らなすぎる俺でも、
あの、「ドーハの悲劇」だけは忘れることが出来ない。

最後の最後、本当に最後の最後で
W杯出場を逃したあの一戦、あの瞬間。

サッカーファンでも何でも無い俺ですら、
喪失感、脱力感、...etc.等のありとあらゆる
「負」の感情を抱いた夜だった。

ちょうど、その一年後だったろうか、
日本が出場できなかったW杯アメリカ大会が終わった頃、
俺はその開催国、アメリカの地を踏んだ。

現地の高校の入学手続きも無事終え、
あとは1ヵ月後の登校初日を待つばかりだった。

正直、高校の初日がくるのが恐かった。

アメリカという新天地で、右も左も分からない私が、
日本人の全く居ない環境に飛び込むのだ。

恐くないわけがない。

最初から一人で登校するのは、かなり無理があると思った。

シンガポールに5年近く住んでいたとはいえ、
オール・英語な現地の学校にいきなり放りだされても、
一日すら過ごす自信なんて無かった。

そこで、俺は「何もわからないから、初日だけ付いてきてください!」
と、恥を忍んで親に頼み込んだ。

今思えば、15歳のええ歳こいた男が、
高校初日に親についてきてもらうなど、情けなすぎる。

しかし、事情が事情だ、なりふり構っていられない。

頼み込んだ挙句、両親は何とか承諾してくれた。

現地の高校の初日というプレッシャーを、
なんとか紛らわせることができ、気が少し楽になった。



そして、高校初日の朝。

シ 「さ、父上、母上、
   私を高校に連れてっていただけますでしょうか。」

父 「あァ、それやねんけどな…。」

母 「あんた、スクールバスに乗って一人で行ってき。」

衝撃的だった。

実に衝撃的な発言だった。

高校初日の朝、しかも、今から出ようかという時に、
我が両親は「一人で行って来い。」と、確かにおっしゃった。

最後の最後、本当に最後の最後の瞬間に、
俺は、あの「ドーハの悲劇」の時に似た、
ありとあらゆる負の感情を感じた。

シ 「え… あ…えェ… ?」

声にならない程の衝撃、
そしてこれから始まる一日への過度の不安。

腰がくだけ、ピッチに倒れこむシンタロウ。

シ 「じょ、冗談やんな?」

母 「高校初日に親が付いていくなんてオカシイやろ。」

父 「そやそや。」

…!

話が違う!違いすぎるYO!!



数分後、俺は日も昇らない朝6:30にジョージアの路上に放り出され、
真っ暗な中、ポツリと一人でスクール・バスを待った。

「ジョージアの悲劇。」

俺は、今でもあの朝感じた孤独感と暗闇を今でも忘れない。

真っ暗闇の中、学校に着いてからの自分の一日の行動を
必死でイメージ・トレーニングしたあの孤独な時間を
今でも忘れない。

真っ暗闇の中、遠くからライトを点灯して
近づいてくる、地獄へのスクール・バスの
あのけたたましいエンジン音を忘れない。

一人でバスに乗り込み、どこに座っていいか分からず、
怯えながら空いてる座席についたあの緊張感を今でも忘れない。

しかし、それと同時に、

あの朝一人で一歩踏み出したからこそ、
何も恐いものが無くなり、
その後の高校生活を無事に乗り切れた事も忘れない。

誰にも頼ることなく、
一人で考え、一人で決断し、一人で行動し、
一日を乗り切った時の達成感と喜びも忘れない。


スケールや状況は違えど、
あの「ドーハの悲劇」があったから、
W杯3大会全てに出場するまでに成長した
今の日本代表があるのかもしれない。
(日韓大会は、ちょっと例外だけど。)



絶望の淵から一歩踏み出したとき、
人はちょっと強くなれるのかも知れない。



書いてて訳分からなくなったかもしれない。

落としどころを見失ってしまったかもしれない。

今日の投稿は、笑うところが無いかもしれない。


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